〈前編〉身長150cmのバレエダンサーがフリーランスの道を選んだワケ 【ダンサーインタビュー2:酒井友美さん】

身長150cmの小柄な体でありながら、バレエダンサーとして活躍を続ける酒井友美さん。

彼女が選んだのは、安定を求めずフリーランスとして道を切り拓くこと。幼少期の出会いから、挫折を乗り越えた再出発、そして海外留学への挑戦――。フリーランスを選択するまでの道のりについてお話を聞きました。


■舞台を優先しながら両立する三足の草鞋

――では、まず現在のご職業と簡単な自己紹介をお願いいたします。

バレエダンサーを中心に、子供たちや大人の方に教えたり、 あとは「Japan Ballet Competition」というバレエコンクールのサポートをしたりしています。現在はこの3つを並行してやっているような感じですね。

――時期によっても違うと思うのですが、3つのお仕事をそれぞれどのようなバランスで割り振りをされているものなのでしょうか?

コンクールのサポートについては、年間でどこに大会があるかを 1年前に出してもらえるので、まずそこは1年前に全部スケジュールを空けています。ただ、もし本番やリハーサルが被ってしまった場合には、JBCの主催側の意向で舞台を優先していいよということになっているので、当日の現場のサポートには行かずに、オンラインでできるような仕事を手伝うという形でやっています。

教えも自分が担当するクラスは週に2、3回あるんですけども、行けない時は代講をお願いしています。やはりメインはダンサーでやっているので、パフォーマンスを1番優先して、調節をしながら、両立しています。


バレエを辞めていた3年間

――ダンスとの出会いはどのようなものだったのですか?

地元が茨城県なのですが、きっかけはたまたま通っていた幼稚園に来ていた「出張バレエ教室」でした。母に「バレエやってるよ、見に行かない?」と誘われて見に行ったら、なんか楽しそうって思ったのが始まりです。

そのお教室の本校に卒園してから行ったら、結構大きなお教室で。そこで、すごく素晴らしい先生にお会いし、ビシバシと鍛えられながら、「あ、バレエ楽しいな」と思って、気づいたら職業という感じでした。

――では、そこからはずっとバレエ漬けの毎日だったんですね。

実は、よく皆さんにびっくりされるんですけど、途中でバレエを辞めてまして……。

――え、そうなんですか!

東日本大震災があったのがちょうど中学1年生の終わりぐらいで、それをきっかけに自分がずっと通っていた教室がなくなってしまって。どうしようってなった時に、「もうバレエいいかも」と思ったんです。なので、ほぼほぼ空白の時間が中学2年生、3年生、高校1年生と、3年間ぐらいあるんですよ。

――では、中学時代はバレエに触れてない期間のほうが長いんですね。

そうなんです。一番育ち盛りなのに、まさかの踊らずに過ごしてしまって。でも、高校2年生で進路相談が本格的に始まって、「特に行きたい大学も学科もないな。何がいいだろう……」と思ったら、やっぱりバレエかなって、ふとそこでまた思ったんです。それで再開しました。

高校2年生からもう一度再開したら、そこからはもう早くて、進路として考えるなら、海外行きたいってなってしまったんですよね(笑)。


■両親を説得して挑んだアメリカ留学

――決心されたあとは早かったんですね(笑)。ご両親はどのような反応でしたか?

バレエはお金のかかる習い事ではあるので、小さな頃から「全力でやるんだったら月謝も払い続けるけど、中途半端ならもうやめなさい」という家でずっと育ちました。なので、自分がバレエから遠のいた時期も辞めたいと言ったら、すぐにいいよって辞めさせてもらって。

その分、もう1回始めたいって言った時にはちょっとびっくりされましたね。そこからは両親と「今から始めたらそれは趣味なのか、 それともそれは職業にしたいのか」というところまで話し合いをしました。

安定した収入をもらえる仕事ではないから、親の理解を得るまでが大変で……。高校2年生の段階でバレエの道へ行けるのか行けないのか、果たしてご飯が食べられる生活になるのか、それはもう親として心配だったと思います。

だから、すごく説得したし、ブランクがかなりあったので、毎日ほぼほぼレッスンへ行って、もちろんコンクールも出て、とにかくバレエを磨きました。

でも、同時にバレエがうまくいかなかった場合の保険もかけて、学校の勉強も頑張りましたね。遊ばずに、学校終わったらすぐレッスンへ行くので、電車の中ではずっと勉強で、歩いている時は片手に参考書みたいな学生でした。

――とてつもないハードスケジュールですね。

学校の先生や親との約束だったんです。バレエの道がうまくいかなかった場合には、やっぱり一般の大学へ行くしかない、同時並行でやっていかないと、どちらかがこけたら、どっちもなくなっちゃうよという話をされていて、生半可な気持ちでは挑めなかったので。勉強しながらレッスンへ行き、帰ってきたら夜な夜な半べそかきながら勉強しました。

――そういった姿勢もあって、最終的には説得が成功したんでしょうか。

最終的にはどうやって説得したのって本当によく聞かれるんですけど、ただ行きたい、お願いします、では絶対無理だったから、まずなんでバレエをやりたいのか、なんで海外に行きたいのかっていうことも全部説明しました。私はこういう道でこうしてみたい、どうなるかわかんないけどやってみたい、途中で挫折して帰ったりしません。それくらい自分の決意を言って、 やっと許可をもらいました。

親としては、実質2年のバレエ学校でも、日本の大学の4年分ぐらい費用がかかるので、日本の大学4年行くお金とあんまり変わらないなら、 じゃあバレエ学校の2年もいいよっていう最終的な判断だったのかなと思います。

――2年で4年分の学費、バレエ学校はやはり授業料が高いですね。

私が行こうとしていたところは、義務教育を終えた人が行く「プロフェッショナルクラス」で学費がそもそもないので、スカラシップで学費免除という概念がなく、スカラシップを使っても、やっと日本の大学4年分ぐらいみたいな感じでした。

それに、アメリカだったので特に高かったですね。ヨーロッパのドイツとかだったら、もっと安いのに、私はなぜかアメリカを選んでしまったので、本当に親に感謝です。出してくれない場合も全然あるし、もちろん経済力的に難しい ってなってしまうこともあるから。 私はたまたま親にも、おじいちゃんおばあちゃんにも助けてもらって、留学に行かせてもらったので。プラスで私は双子なので、お金2倍です(笑)。

――どういった学校だったんですか?

アメリカでロシアのメソッドを教えてくれるっていう学校だったんですけど、寮があって、下に降りれば教室があるし、レストランもあるし、上に行けば寝る場所があるという、本当にもうバレエだけを考えればいいよ、という環境でした。

実際バレエ学校に行ってみたら、3か月持つかなっていうぐらい本当に苦しくて。そうしたら親から「もう一生行かせないから帰ってきな。帰りのチケット買ったら、もう行きのチケットないからね」って言われて。「嫌だ」って言って、粘って2年間頑張りました。今でもバレエの仕事がなくなって転んじゃって、宙ぶらりんになって、食べるお金がなくなってしまったら、帰ってきなさいとは言われます。見捨てられることは全然ないですけど、「腹をくくっていけ」という厳しさがありました。


■身長150cm、フリーへの決断

――本当に生半可ではない気持ちで過ごされたんですね。

日本に帰ってきてから、東京シティバレエ団で2年間お世話になって、 色々そこでも勉強させていただきました。退団してからは「Iwaki Ballet Company」という元東京バレエ団プリンシパルの井脇幸江さんが主宰するカンパニーに1年間ほどお世話になりました。

でも、そこで自分はフリーのほうがいいかもと思い、今に至ります。 ダンサーの中では早くフリーの道へ行っちゃったかなっていう感じではありますね。やっぱり周りのみんなはもう少し所属している歴が長いので。ただ、自分は早めにフリーになった分、お仕事の横の繋がりはすごい広がりました。今のコンペティションのサポートも横の繋がりでいただいたお仕事ですし、それを踏まえれば早いフリーも良かったのかなって思いますね。

――周りの方よりも早く、所属ではなくてフリーの方がいいかもと思った大きな要因は何だったんですか?

その理由は簡単で、私の身長が実は150cmしかないんです。

150cmくらい小柄だと、例えばカンパニーが持っている規定のお衣装が入らなかったり、コールドで背が合わなかったりといろいろな問題があって、やっぱお役をいただくのがちょっと難しい状況ではあるんですね。

おそらく、私が所属していたときよりも、今の方がもっと平均身長を上げているので、160cmは求められるのが現状だと思います。もちろん、それよりも小さい子もいます。けれども、頑張っても155cmとかなんです。

私はそこからさらにマイナス5cmぐらいになってしまうので、どうしても使いにくいという部分があり。 だったら、フリーになれば「ちょっと踊ってよ」という感じで、ソリストとして踊らせていただけたり、コールドと言っても、そこまできっちり揃えなくても大丈夫みたいな舞台に呼んでいただけたり、いろいろと機会があるので、所属してた時よりもちゃんと舞台をいただいて、踊っているなという実感はしますね。

――フリーへの不安はなかったですか?

結構、挫折はしましたし、このままこの世界で生きられるのかなとか、不安はもちろんあったんですけど、私の踊りを見て判断して、「じゃあこれちょっと踊ってよ」みたいな感じで小さくても踊れる機会があるのがフリーダンサーならではだと思います。
所属を抜ければオファーもしやすいらしく、スケジュール調整も自分でできるので。所属している間はバレエ団のスケジュールに合わせて空けるだけ空けて、踊れないまま1年間終えてしまう……みたいなのも本当に普通にあることなので。

であれば、フリーになって、自分がやりたいお仕事をいっぱいいただいた方が自分にとってはプラスなのかなって思ったら、 「じゃあフリーのがいい」って思って。

最初の1年間ぐらいは、ほぼほぼ仕事はなかったんですけど、横の繋がりを広げる時間だと思って過ごしました。1年目はとりあえずいろんな人と出会って、次の年から段々と「ここで踊ってよ」と言ってくださるようになったっていう感じですね。今は本当に忙しくさせていただいて、オフもないぐらいになりました。

――酒井さんになっては、転機となった決断ですね。

そうですね。ただ、自分がフリーになった方がいいか、ならない方がいいかは本当にその人の状況次第かなとは思います。身長もあって、バレエ団で使っていただける条件が揃っているのであれば、もちろんずっと所属していても全然問題はないですし。

当時の自分は結構大雑把な考えでフリーになったんですが、不利な条件がある人からしたら、抜けても間違った道ではないんじゃないかなとは、今の自分なら言えます。

【酒井友美 プロフィール】
1998年茨城県生まれ。5歳でバレエを始める。Kirov Academy of Balletに留学後、東京シティバレエ団、Iwaki Ballet Companyに所属。現在はフリーダンサーとして活躍中

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