「ダンスよりも簡単」ブレイキンが営業の武器になったワケ【ダンサーインタビュー13:原島 匠さん】

ブレイキンと出会い、週7日の練習に明け暮れた高校時代。

大学ではさらにダンスに打ち込み、社会人となった今も仲間とチームを続ける──。
そんな原島匠さんに、ブレイキンと仕事の両立、そしてダンスが営業の現場で意外な武器になった理由を聞きました。

■高1の部活体験から始まったブレイキン人生

――まず、現在のお仕事について教えてください。

原島匠さん(以下、原島)ジールコミュニケーションズという会社で、デジタルリスク事業部の法人営業をしています。今29歳で、この会社には転職して来月で丸2年になります。

――デジタルリスクというと、具体的にはどういったサービスなんですか。

原島: 企業のSNS炎上やネット上の風評被害など、インターネット上のリスク対策を支援するサービスです。

SNSやWebの情報をモニタリングして問題の兆しを早く見つけたり、検索結果に出てくるネガティブな情報への対策、社員向けのSNS研修やガイドライン作成などを通じて、企業のブランドを守るための仕組みづくりをサポートしています。

――ブレイキンとはいつ出会われたんですか。

原島:高校1年生のときです。中学が一緒だった先輩が「踊り部」という部活をやっていて、体験においでよと誘われて。そのまま入部届を出されて、気づいたら入っちゃってました(笑)。

――「踊り部」というのは珍しいですね。

原島:そうなんです。みんな「日本舞踊ですか?」って聞くんですけど、真逆のストリートダンスで。当時はダンスが流行り始めた頃で、女子が創作ダンス部、男子が踊り部という感じでした。

――それまでダンスはやっていなかったんですね。

原島:全然です。中学では和太鼓部でした。ダンスとは全然関係ないことをやってました(笑)。

――そこからどうブレイキンにハマっていったんですか。

原島:ブレイクって、1つの技ができるまでにすごい時間がかかるんですよ。でも、できた時点で人の動きを超えてるじゃないですか。そこが気持ちよく感じたんだと思います。半年、1年ぐらい経ったときにはじめて技ができるようになって、もう楽しいなってハマりましたね。

■週7練習、深夜の駅練も。高校時代のストイックな日々

――部活動はどんな感じだったんですか。

原島:最初は火曜日だけ定休で、あとは自由参加って言われて入ったのに、新卒の野球部の副顧問が顧問になってから、火曜定休で残り全部練習になっちゃって。10人ぐらいいたのが、半年で半分以上やめました。

――それはハードですね……。

原島:土日も朝9時から夕方5時まで練習してました。平日は授業が終わって6時まで部活、それから近くの公民館で9時まで練習して。1回家に帰って飯食って、深夜の駅で練習して。朝も早く行って朝練してました。

――深夜に駅で練習というのは自主的に?

原島:そうですね。当時はYouTubeの動画もあまりなくて、外国人が英語で何言ってるかわかんない動画を見ながらやるか、駅で大人がやってるところに混ぜてもらって教えてもらうか、そんな感じでした。

■大学ではサークルでさらに深くブレイキンへ

――大学でもダンスは続けられたんですか。

原島:高校のときによく一緒に練習していた先輩に誘われて、インカレのダンスサークルに入りました。

――練習はどれぐらい?

原島:練習日は週2だったんですけど、練習場所はいつでも使えたので結局ほぼ毎日行ってましたね。練習して、バイトして、練習して、学校で寝て、みたいな…ダンス最優先の学生生活を送ってました。

――高校から変わらずブレイキン漬けの毎日だったんですね。大学時代の目標は何だったんですか。

原島:大学時代の前半はサークルのイベントとか、たまに外部のバトルに出ていました。後半は同級生に誘われてチームを組み、そのチームの目標だった「関東大学生ダンス連盟Σ(シグマ)」の連盟公演で、4年生のときに講師を務めることができました。

■「ブラック企業」時代もダンスがあったから続けられた

――就職活動はどうされたんですか。

原島:ちょうどその頃にコロナが始まって就活もぐちゃぐちゃになって……。とりあえず営業職に就きました。入ってみたら、いわゆるブラック企業だったんですけど(笑)、3年半ぐらい続けました。

――ブラック企業で働けれてる間もダンスは続けられたんですか。

原島:無理やり時間を作って続けてました。

――すごい!大変ではなかったですか。

原島:逆にブラックだったからこそ、ダンスをやっていなかったらもっとしんどかっただろうなあと思います。千葉で一人暮らしをしていたんですけど、仕事終わりに日暮里まで行って練習して、終電で帰って翌日普通に出社する、みたいな生活でした。今思うと頭おかしいんですけど(笑)チームで年1、2回イベントにナンバー出したりもしていたので、週1ぐらいの練習は確保して続けてました。

――ダンスが仕事に生きていると感じる瞬間はありますか。

原島:ブレイクは即興が多いので、その場の判断で対応しなきゃいけないことも、楽しみながらやれているなと思います。何かあったときも、面白そうなほうに行きたくなるというか。

今の会社では研修で人前に立つことも多いんですけど、ダンスでずっと人前に立っていたので、ダンスより「やること決まってるから簡単じゃん」みたいな気持ちでいられるのも大きいです。

――即興力と本番強さですね。

原島:ダンスだとソロの15秒でミスしたら、もう全部終わりなんです。やり直しもできないので。

それに比べると、仕事はその場で立て直したりフォローしたりもできるので、気持ち的にはかなり楽に感じますね(笑)。

――特技としても役立っているとか。

原島:逆立ちした状態で回れるんですよとか言って、お客さんと仲良くなったりとか。それで一気に関係値が良くなることもあります。実際に披露することはあまりないんですけど、アイスブレイクにはなりますね(笑)。

「やめる」より「続けられる場所を探す」という選択

――今もチームは続けているんですね。将来的にはどんなふうにダンスを続けたいですか。

原島:はい。11人のチームで、来年で10周年になります。

この間、チームの誰かと話していたのが、おじいちゃんとかおばあちゃんが集まってゲートボールやってるじゃないですか。あれのダンス版みたいなチームでいられたらいいよねって

久々に戻ってきてちょっと体動かすぐらいでもいいし、がっつりやりたい人はがっつりやって。そんな感じのチームであり続けられたらいいなって思ってます。

――学生時代にダンスをやっていて、将来について悩んでいる人に伝えたいことはありますか。

原島:全部辞めるっていう選択肢じゃなくて、うまく両立する方法もあると思います。僕は環境に恵まれてた部分もあるかもしれないですけど。例えば僕らのチームのナンバーに来てくれてもいいし、それ以外でも社会人とダンス両立してる人って意外といるんで、そういうコミュニティと繋がれれば、意外と続けられると思います。

――続けられる環境を探すと。

原島:そうです。無理に諦めるとかじゃなくて、どうしたら続けられるかなって考えるほうがいいのかなって。ブレイキンに関して言えば、たまにスーツで踊ってる人とかも見ます。そうやって社会人になっても続けてる人もいるので、いろんな続け方があっていいんじゃないかなと思います。後悔せずにやるほうがいいですよね。

――親御さんからは、当時どんな反応でしたか。

原島:当時は「いつまでダンスやるの?」ってずっと言われてましたけど、今はもう10年以上やってるんで、半分諦めてるというか認めてるというか……たまに見に来てくれたりするぐらいです。「そこまでやれるんだったらいいんじゃない」って、多分思ってくれてるんだと思いますね。

【原島 匠(はらしま・たくみ)  】
1996年生まれ。高校1年でブレイキンを始める。大学ではインカレのダンスサークルに所属し、関東ダンス連盟Σ(シグマ)の連盟公演で講師を務める。同級生で結成したチーム「バーニングジンギスカン」は現在も活動中。新卒で営業会社に入社後、ジールコミュニケーションズに転職し、デジタルリスク事業部で法人営業を担当。仕事とダンスを両立しながら活動を続けている。
※本記事は取材当時の情報に基づいて掲載しています。

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