ダンス強豪校からヘアメイクアーティストへ。ダンスで培った「忍耐力と精神力」【ダンサーインタビュー14:川﨑 寛弓さん】

3歳からモダンバレエを始め、高校・大学と週7日の部活動に明け暮れた川﨑寛弓さん。踊ることに全身全霊を捧げてきた彼女が、なぜヘアメイクアーティストという道を選んだのでしょうか。

そして、厳しい環境で培われた精神力は、今どのように活かされているのか。ダンスとヘアメイク、二つの世界を知る彼女に、キャリア選択の裏側と、若い世代へのメッセージを聞きました。

■週7日、朝5時起き。厳しい部活動の日々

――ダンスは何歳から始められたんですか。

川﨑:3歳のときにモダンバレエを始めたんです。母に聞いたら、自分でやりたいって言ったみたいで。ただ、練習が好きなタイプじゃなかったので、最初は遊びに行ってる感覚でしたね。小学校ぐらいからは、もうずっとダンスしかしてなかったと思います。

――3歳から始めて、ずっとモダンバレエを続けられたんですか。

川﨑:実は中学校のとき、一度ダンスをやめたんです。部活で陸上を始めたら、それが楽しくて。成績も良かったので、陸上で高校に行こうと思っていました。走り幅跳びをやっていて、踊るより陸上のほうが楽しいって思ったんですよね。

――それでダンスから離れたんですね。

川﨑:はい。でも、中学3年生のとき、3歳からずっと一緒にバレエをやっていた先輩から、若葉高校のダンス部の体験に誘われたんです。そこでダンスをやっている姿を見て、「ああ、やっぱりダンスがいいかも」って思って。それで通っていたスクールにも戻って、高校はダンスで行くことに決めました。

――若葉高校はダンスの強豪校なんですよね。

川﨑:はい。部活は週7日で、休みがほとんどなかったです。私は寮生だったので、朝5時に起きて、朝ご飯を食べて、そのまま朝練。6時半には学校にいました。授業が終わったら夜8時まで練習して、帰って宿題をやって、また朝5時に起きる。そんな毎日でした。

――土日も練習ですか。

川﨑:土日は朝8時くらいから夕方まで練習していました。週7日で休みがないので、台風で休校になったときとか、何をしていいか分からなくなるんですよ。

――それは相当ハードですね。そこまで厳しいとは知らずに入部したんですか。

川﨑:はい、知らなかったです(笑)。でも高校のときは意外と楽しかったんですよね。寮生活も含めて、全部楽しかった。辞めたいとは思わなかったです。

■大学とダブルスクールでヘアメイクの道へ

――大学も舞踊専攻に進まれましたが、いつ頃決めたんですか。

川﨑:高校3年生のときですね。ギリギリでした。東京だったので、親からは「本当に大丈夫?」って心配されました。親が美容師なので、美容専門学校でもいいんじゃないかって言われたこともあったんですけど、でもまだ踊りたいなって思って、大学に行くことにしました。

――大学で明確に仕事にしようと思っていたわけではなく?

川﨑:はい。そこで夢を見つければいいかなっていう、軽い感じでした。同期が2人、同じ大学に行ったので、寂しくはなかったです。

――大学のダンス部も厳しかったんですか。

川﨑:高校よりも厳しかったですね。上下関係がもっと厳しくて、当時は戸惑うような規則もたくさんありました。辞めたいって思ったけど、若葉から来たっていう看板があるし、休みたくても休めなかった。でも、それも一つのことを続けるっていう意味では、良かったのかなって思います。

――大学卒業後の進路はどう考えていましたか。

川﨑:ダンス一本で行きたいとは思わなかったです。一生その仕事ができるかって言われると、体も持たなくなるし、周りを見て一握りの人しかダンスでやっていけないって分かっていたので。

就職活動もしたんですけど、自分がやりたいことじゃなかったので、結局その内定は辞退して、大学3年生の終わりに大学とダブルスクールできるところを探して、ヘアメイクのスクールに通うことにしました。舞台を見たりするときに、衣装とかヘアスタイルがどうなっているんだろうって興味があったんです。劇団四季とかも好きで、メイクがどれだけ作り込まれているんだろうって、見るのが楽しかったんですよね。

■アイドルグループからファッションショーまで

――ヘアメイクの仕事にはどうやって就いたんですか。

川﨑:通っていた「Be-STAFF」というスクールでは、在校生の間からプロの現場に一緒に行けるんです。そこで、いろんな現場があることを知れました。

卒業生のつながりで求人が来たり、声をかけてもらったりして、最初はテレビ局のアシスタントをアルバイトで始めました。バラエティとかドラマに入るのが目標の一つだったので。でも、給料が少なくて、親からの援助もまだ必要な状態で。27歳でそれはちょっと違うなって思って、今の事務所に移りました。

――アシスタント期間はどれくらいだったんですか。

川﨑: 今でも師匠のアシスタントとして入ることもありますが、スクールのアシスタントを1年やって、テレビ局のほうを半年くらいですね。

事務所に移ってからは、基本的には生徒さんにメイクを教えたり、あとは現場でいろんな依頼をいただいて出向いたり。美容専門学校でメイクの講習をしたりもしています。

――現場はどんな系統が多いんですか。

川﨑:アイドルグループの現場に行ったり、ファッションショーのヘアメイクに入ったりと、結構それぞれバラバラですね。

■ダンスで培った「忍耐力と精神力」が活きている

――ダンスの経験が今の仕事に活きていると感じることはありますか。

川﨑:忍耐力と精神力ですね。幼少期からずっと厳しい環境でダンスをやってきたので、体力と気力には自信があります。

アシスタントのときは重いバッグを持ったり、師匠より早く来て夜遅く帰ったりするのが当たり前なので、そういう面で活きていると思います。心の強さは信頼度にもつながるので、大切だと思いますね。

――それは部活動で鍛えられたんですか。

川﨑:最初から強かったのかもしれないですけど、培っていったもののほうが大きいと思います。親が「一度やったからには続けなさい」っていう方針だったので、辞めたいと思っても辞めなかった。それが今、何かあっても辞めたいと思わない性格につながっているんじゃないかなって思います。

――現場でも、その精神力は活きていますか。

川﨑:空気を読むことがすごく大切なんです。師匠がしゃべる人だったら、私は存在感を消す。逆に師匠があまりしゃべらない人だったら、私が場を盛り上げる。表情の変化とか、今これをしたほうがいいんだろうなっていう暗黙の了解みたいなものは、上下関係の中で培われたものだと思います。

■誰かの意見でなく「自分の心」で決めるべき

――ダンサーを目指す学生や、その親御さん、先生方にメッセージをお願いします。

川﨑:大学とかに行っても、結局その大学で習ったことを将来やるかと言われたら、そうじゃないことも多いと思います。私もそうでした。

でも、自分がやりたいことをやったほうが、楽しいし、続けられると思います。金銭的に難しい場合もあるかもしれませんし、親御さんに反対されることもあるかもしれないけど、5年後にはこうなる、こういう設計があるっていうのをちゃんと説明する。

親御さんも、心配で反対されるんだと思うんですけど、お子さんが「本当にこれをやりたい」って、ちゃんと計画性を持って説明できるなら、応援してほしいなって思います。誰かの言いなりにはならないほうがいい。「自分の心」で決めたほうがいいなって思います。

【川﨑寛弓(かわさき・めぐみ)  】
ヘアメイクアーティスト歴6年。福岡県出身。3歳からモダンバレエを始め、福岡大学附属若葉高等学校を経て、日本女子体育大学舞踊学専攻を卒業。現在は「Be-STAFF MAKE-UP UNIVERSAL」に所属し、アイドルグループ、ファッションショー、雑誌撮影など幅広い現場で活躍する傍ら、スクールで講師を務めるなど後進の育成にも力を入れている。

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