<後編>バレエ伴奏者・星美和の軌跡「中途半端だった経験すべてが今に生きている」【ダンサーインタビュー12:星美和さん】

全国の教室で愛用されるレッスンCD『MUSIC FOR BALLET CLASS』シリーズで知られるバレエレッスンピアニスト、星美和さん。

後編では、バレリーナとしての道もピアニストとしての道も一度は閉ざされながら挫折を乗り越え、28歳で伴奏という天職に出会ってからの軌跡をたどります。さらに、「バレエを辞めたら何も残らない」と悩む人たちに向けた、彼女ならではの励ましの言葉を伺います。

■手探りで築いたバレエ伴奏者の道

――28歳で「バレエの伴奏者」という、まさに天職と出会われたんですね。

星美和(以下、星):そうですね。ただ、最初は本当に手探りでした。バレエの伴奏の仕方など誰も教えてくれない中で、自分なりのやり方を試して少しずつ喜んでもらえるようになりました。

私が初めて仕事をしたのがイギリス人のバレエの先生でした。彼が「このオペラを見なさい」「オペラのこういう場面はレッスンで使えるよ」「miwaは若いんだからミュージカルやジャズのリズムやハーモニーを取り入れて」など何も知らなかった私にとってはそれがとても勉強になりました。

――イギリスでの下積みを経て、日本に戻ってからはどうでしたか。

星:日本とイギリスではレッスンの進め方や合図の出し方から違って戸惑いましたし、人脈もまったくありませんでした。自分でいろいろなオープンクラスに通い他のピアニストさんたちのピアノでレッスンを受けたり、ときには有名なピアニストの方に「イギリスで少しバレエのピアノを勉強してきたのですが、仕事がなくて」と直接相談することもありました。その中で、一人の恩人に出会えたのは大きかったです。工藤ゆかりさんという方で、「私の弾いているところについてきてみる?」と言ってくださって。それが転機になりました。今はパリのコンセルヴァトワールやオープンクラスで活躍している大恩人です。

――この道1本で行けるようになったと感じられたタイミングは何歳ぐらいだったんですか。

星:33歳ぐらいですかね。当時は携帯電話がないので、家の電話にかかってくるんですよ。だから、もう絶対外に出ないで、1日中ピアノを弾いて、来た仕事は絶対に行って、仕事に行ったらおかわりもらってくるみたいな日々でした(笑)。

レッスンが終わったら、先生方に「今日はどうでしたか」「どんな曲がいいですか」と直接聞いて回って。当時は厳しい先生が多かったから、「そんなんじゃ踊れないわよ」「音いらないです。手拍子でやります」とか、平気で言われてました。でも好きだったし、この仕事で生きていくんだ!という信念があったので続けられたんだと思います。

そうしているうちに先生方も「あの子は本当にやりたいのね」って思ってくれたみたいで、少し良くなったら「マッチベターよ」って褒めてくれたりして。それに、そのときに私の伴奏で踊っていた人たちが、今は優秀な先生になっていたりとかそこの生徒さん達が世界に飛び出して行ったり、当時の人脈や仲間が今もずっと続いています。宝物です。

■レッスンCDの誕生秘話

――CDを作り始めたきっかけは?

星:2009年に初めて作りました。2000年ぐらいから関西の先生に「美和ちゃんCD作ったらいいよ」って言われていたんです。毎年年賀状に「みわちゃんCD まだ?」って書かれていて、それが9年続いた(笑)。

その当時は双子の男の子と娘の3人の子育てがあり、そのうちの1人が10万人に1人という能動静脈奇形という難しい病気を持っていたので、その子のケアもあり仕事との両立が大変でした。でも毎年年賀状が来るから、そろそろ作らないといけないなって思っていたんです。

心を込めて1枚のCDを作って、その先生に送ったら「美和ちゃん、これすごくいい。お友達に配りたいから、あと30枚ちょうだい」って。売ってあげるからって(笑)。その先生は今でも一緒にお仕事をさせて頂いている大恩人です。

――それがきっかけで本格的に?

星:100枚作って大阪に30枚送って、あとは親戚とかお友達に配ったら「これ売れると思う」って言ってくださって。それでバレエショップに「私こういうものですが。。レッスンCDを作ったのですがお店に置いてもらえませんか」ってサンプルを配ったら、「いいと思う。10枚持ってきてください」って。それがどんどん売れるようになったのが始まりです。

――そこから全国に広がっていったのですか。

星:はい。最初は日本製の練習用CD自体がまだ少なく、海外のものが多くて日本のスタイルに合わないものも多かった。タイミング的にも良かったんだと思います。

あるときチャコットさんに話を持ち込んだら「個人とは取引しない」と言われたのですが、系列でシリーズにするならと前向きな返事をもらい、松山バレエ団の先生方が推薦状を書いてくださったことも後押しになりました。チャコットで扱ってもらえるようになってからは全国区になり、作っては売り、売れたお金で次を作るというサイクルができました。

――CDを作るようになって印象的だった出来事はありましたか?

星:震災で東北のお稽古場が壊れてしまったとき、何かできないかと思って、手元にあったCDを何十枚かバレエショップに預けました。どこに送ったらいいか分からなかったので、ショップ任せにしたんです。しばらく連絡もなく、本当に届いたのかなと思っていたら、数年後に「実は…」「私、東北出身なんですけど、教室でずっと美和さんのCDで踊ってました。教室にプレゼントしてくれたCDが星さんのものでした」と言ってもらえて、ものすごく感動しました。

自分の知らないところに自分の音楽が届き、それで毎日レッスンに使ってもらえている――その事実が何より嬉しかったです。最初は不安だらけで「売れるとは思えない」と自信が持てなかったけれど、少しずつ周りが支えてくれて、今につながっています。制作のモットーはいつも「みんなが喜んでくれること」。その気持ちで作り続けています。

■「バレエしかやってこなかった」ことを誇りにしていい

――キャリアに悩むダンサーにメッセージをお願いします。

星:たとえ一流のダンサーになれなくても、教える側になれなくても、バレエを好きでいることは決して諦めないでほしいです。バレエを続けたことで手に入る宝物はたくさんあります。感性や忍耐力、目標に向かって努力する力、姿勢や所作の美しさ――そうした力は、バレエ以外の世界でも必ず生きますし、礼儀作法など社会で役立つことも多い。何より、舞台を観る楽しみが一生続くのも大きな財産です。だから、バレエが好きな気持ちは大切にしてほしいと思います。

――「バレエしかやってこなかった」と悩む生徒の方は多いですよね。

星:バレエ以外の経験が少ない子はいると思います。でも、だからといって「何も残らない」ということはありません。バレエに打ち込めたその力を、別のことにも活かせます。むしろ「バレエしかやってこなかった」ことを誇りにしていい。よく頑張ってきたね、と伝えたいです。

――今後のビジョンをお聞かせください。

星:これからもバレエへの愛を表現していきたいです。まずはピアノを通して音楽で人を幸せな気持ちにしたい。私も多くの先輩方に支えられてきたので、今度は若い世代にその恩を返していきたいと思います。バレエのピアニストは先生でも同僚でもない、独特の立ち位置にありますが、必ずそばにいてダンサーの支えになれる存在です。孤独な舞踊人生の中で、少しでも安らぎを提供できたら嬉しいですね。

また、CD制作も続けていきたいです。自分の仕事が形として残り、それが誰かの役に立つことは本当に幸せなことだと感じます。私自身、かつては中途半端だと思っていた経験や辛いこと、それらすべてが今の仕事に生きていると実感しています。全部がつながって、今の私を作ってくれた──そう伝えたいです。

【星 美和(ほし みわ)】
バレエレッスンピアニスト。北海道釧路市出身。4歳でバレエを始め、高校時代からピアノを本格的に学ぶ。22歳時の骨折により指に障害を負うものの、28歳でバレエピアニストとしての道を見つける。30年以上にわたりバレエ界で活動し、現在までに11枚のレッスンCDを制作。その音楽は全国のバレエ教室で愛用され、多くのダンサーの成長を支えている。バレエへの深い愛情と豊富な経験を活かし、後進の指導にも力を注いでいる。

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