香港ディズニーランド日本人ダンサーが語る「4回のオーディション」と怪我を乗り越えた挑戦

国内外のテーマパークで活躍するダンサー、聖代橋佳子さん。現在は香港ディズニーランドで契約ダンサーとして働く彼女に、ダンスとの出会いからキャリア形成、そして海外での活動に至るまでの道のりを伺いました。

◾️宝塚受験から始まったプロダンサーへの道

ーー自己紹介と現在のご職業についてお願いします。

聖代橋佳子、29歳です。現在は香港のディズニーランドで契約ダンサーとして働いています。

ーーダンスとの出会いや、ダンスの道に進みたいと思ったきっかけは何だったんですか?

3歳くらいの時、2歳上の姉が公民館などでやっている新体操のクラブに通っていて、それについて行ったのがダンスの始まりです。ずっと細々と続けていて、小学校で引っ越しもしましたが、引っ越し先でもダンススタジオには通っており、ダンスは常に身近にありました。

中学では、テニス部に入ればダンスを続けられると思って入部したのですが、私が入部した年に顧問の先生が変わり、部活に集中しなければならず、他のクラブとの掛け持ちができなくなってしまいました。そのため、実は中学3年間はダンスから離れていたんです。

高校進学の際、学校説明会でダンス部が非常に強い高校を見つけ、部活見学に行ったら「やっぱりもう一度ダンスをしたい!と思い、高校入学と同時にダンスを再開しました。なので、本格的にダンスを頑張りたいと思うようになったのは高校生からですね。

ーーパークダンサーという方向に進みたいと思ったのはいつ頃ですか?

高校生の時は全く思っていませんでした。ただ、高校3年生の時に、高校の部活の顧問の先生に背が高いからと、宝塚歌劇団の受験を勧められて。その時初めて、ダンスを仕事にできるんだということを意識し始めました。結局、準備不足で宝塚は受かりませんでしたが、大学に入ってから徐々にダンスを仕事にしたいと考えるようになっていきました。

実際に動き始めたのは大学3年生の時ですね。周りが就職活動を始める中、自分も就活を進めつつ、チャレンジするなら最後だと思い、オーディションを受け始めたんです。

大学3年生の秋に受けたUSJのダンサーオーディションが最初で、それに合格し、大学4年生とUSJの1年目が同時にスタートする形になりました。

◾️大学生活と並行したパークダンサーデビュー

ーー大学はダンス系の学部だったのですか?

芸術総合学科のようなところで、演劇専攻でした。受験時に演劇かダンスかを選べるのですが、私はダンスで入学しました。ただ、入学後は皆フラットで、スタッフワーク、演劇、ダンスなど全てを学びます。また、語学系の学科の授業も取ることができました。

ーー大学選びでこだわった点はありますか?

高校生の時は「こういうダンスがしたい」と思って大学を選びましたが、入学してみると、自分のやりたいことには繋がらないかもしれない、卒業後はやらないだろうなと思ってしまったんです。

なので、実は大学の授業は単位を取るために出席し、それ以外の時間は外部のダンススタジオに通っていました(笑)。

ーー大学4年生とUSJのダンサーを両立するのは大変だったと思いますが、どのようにされていましたか?

大学3年生までにほとんどの単位を取り終えていたので、幸いにも大学4年生の前期で卒業が決まるくらいしか単位が残っていませんでした。USJへの入社は5月末だったので、それまでは大学に通い、その後は就職活動をしているという名目で、レポート提出などで単位を取得しましたね。お世話になった先生には事情を説明し、テストの時だけ帰省したり、課題だけ提出したりして無事に卒業しました。

ーーちなみに、身長はいくつですか?身長はパークダンサーの仕事に影響しますか?

170cmです。女性としては高身長なので、経歴というよりは身長がラッキーで仕事に繋がった部分が大きいと思っています。パークダンサーは身長が高い方が有利な時期と、そうでない時期があると実感しています。私が入社した2017年のUSJは、平均身長が高かったです。私より身長の高い先輩もいましたし、当時は高身長の人が求められていたのだと思います。ただ、私が辞める頃には平均身長が低くなっていたので、需要は変わりますし、身長だけがすべてではないかなと。

ーーオーディションと並行して、普通の就職活動もされていたとのことですが、どのような企業を考えていましたか?

実際に企業を受けるまでには至っていません。大学3年生の時に、就活説明会に行ったり、自己分析の授業を受けたりしていました。興味があったのは、劇団のコスチューム制作や、オリエンタルランドのショーやパレード運営など、エンターテイメント系の仕事でした。舞台やミュージカルを観るのが好きだったので、そういったことに関われたらと考えていました。

ーーUSJのダンサーオーディションは、どのような流れで行われるのですか?

日本の大きなテーマパークのオーディションは、毎年おおよそ同じ時期に開催されます。USJの場合は、夏頃に募集要項が出て、秋にオーディションがあり、年末年始に結果が出るという流れです。

オーディション内容は、まず書類審査があり、通過すると会場(大阪、東京、九州など)での実技審査に進みます。実技審査では、クロスフロアというダンスの基本的なスキルを見せる審査と、短い振り付けを覚えて踊る審査があります。そこで審査があり、通過すると身長・体重測定、顔写真撮影、面接などが行われ、その後連絡を待つという流れです。

コロナ禍ではオンラインでの審査も導入されましたが、基本的な流れは変わっていないと思います。

◾️パークによって異なるダンサーの働き方


ーーパークダンサーの働き方について教えてください。1か月のうち何日くらい出勤するのですか?

契約形態によって大きく異なるので一概には言えないんですが、USJのパレード契約の場合、最低出勤日数などは決まっていませんでした。リハーサルであれば指定された時間だけ、本番であればパレードの1時間半前くらいに出勤し、終われば自由解散という形でした。

そのため、非常に自由が効く反面、会社側も自由にシフトを組むことができ、早朝リハーサル後に本番、深夜リハーサルといったハードなスケジュールになることもありました。

ーー保険などはどうなっていたのですか?

USJのパレード契約は個人事業主のような扱いだったので、国民健康保険に加入していました。本番中の怪我であればスポーツ保険が適用されましたが、労災などはありませんでした。

ーーUSJはどのような契約形態なのでしょうか?

私の契約は個人事業主のような形態で、1本いくらという歩合制でした。

ーー金銭面では、USJは稼ごうと思えば稼げるという感じですか?

以前はそのような感じでした。ただし、リハーサルや本番のキャスティングは会社が決めるので、自分の意思だけではどうにもなりません。仕事が多ければ多いほど収入は増えますが、その分時間も体力も奪われます。逆に仕事がなければ、どうしても収入は不安定になってしまいます。

ーーキャスティングされなかった場合、副業などをされていましたか?

大体の人は、何かしらやっていましたね。お金のあるなしに関わらず、時間があるので。アルバイトをしながらUSJで働いたり、逆にUSJの仕事が少ない時期に外部で契約社員として働いたりすることも可能でした。

ーー聖代橋さんご自身は何か副業をされていましたか?

ヨガのインストラクターをしていました。週3回レッスンがあり、朝レッスンを教えてからパレードに出勤し、パレード後またヨガスタジオで教えるという生活を送っていました。

◾️怪我との戦いとキャリアの転機

ーーヨガを始めたきっかけは何だったのですか?

働き始めて3年目、2019年の夏に足を怪我したことが大きな転機でした。リハビリをしながら、足を使わないポージションでワンシーズン出演させてもらったりしましたが、その後コロナ禍でパークがクローズしてしまったんです。

ーーコロナ禍の期間中にヨガの資格を取られたのですか?

はい、そうです。RYT200という全米ヨガアライアンス認定の資格を取りました。スクールに通いました。コロナ禍で色々止まってしまいましたが、膝を怪我していたこともあり、ダンスの仕事には戻れないけれど何かしたい、そして膝のためにもヨガが良いと思い、資格取得に繋がりました。

ーー資格取得にはどれくらいの期間がかかりましたか?

私は9か月くらいかけてゆっくり取りましたね。でも、合宿などで短期集中で取ることも可能だと思います。

ーーその後、2022年にUSJに復帰されたのですね。

はい。USJ側から、怪我が治ったら復帰しないかというお話をいただきました。コロナ禍で一旦止まってしまった際に所属していたダンサーの中から、新しいプロジェクトのために声がかかったという形です。

ーーもしUSJから声がかからなかった場合、何をしようと考えていましたか?

その時は、ダンスは一旦いいかなと思っていて、ヨガを続けていこうと考えていました。

ーーそれでも復帰を選んだのはなぜですか?

怪我で不完全燃焼のまま終わってしまったので、もしやれるならやりきってから辞めたいと思ったんです。

◾️海外パークダンサーへの挑戦

ーー2022年に復帰されてから現在までの流れを教えてください。

2022年にパレードダンサーとしてUSJに戻りましたが、コロナの影響でパレードのオープンが1年延期になってしまいました。その年は、アニメ「ワンピース」のショーに出演し、翌2023年に延期されていたパレードが始まり、1年間出演しました。

そして2024年の6月に香港ディズニーランドのオーディションを受け、合格し、現在に至ります。

ーー海外パークのダンサーになりたいというのは以前から思っていたのですか?

USJで働いていた1年目の冬に、香港ディズニーランドで働いていた先輩のショーをYouTubeで見て、すごく感動し、「絶対ここで働きたい!」と思いました。それがコロナ前の話で、一度オーディションも受けていましたが、その時は合格できませんでした。

その後、コロナ禍や自身の怪我もありましたが、香港ディズニーランドで働きたいという気持ちはずっと持っていました。USJ復帰後、香港ディズニーランドがオーディションを再開したと聞き、再挑戦しました。

ーー香港ディズニーランドのオーディションは何度か受けられたのですか?

合計4回受けました(笑)。

ーー海外パークというより、香港ディズニーランドで働きたかったのですね。

はい、そうです。ほかの海外パークのことはあまり知りません。香港ディズニーランドのオーディション情報は、自分でウェブサイトを定期的にチェックしていました。

ーー海外パークのオーディションを受けるにあたって、何か特別な準備はしましたか?

オーディションの告知は急に出るので、いつでも行けるようにお金を貯めておくこと、航空券をすぐに買えるようにしておくこと、履歴書(海外の場合はフォーマットが決まっていないことが多い)や写真を事前に準備しておくことなどです。

◾️香港ディズニーの契約はフルタイム

ーー実際に海外パークで働いてみて、日本のテーマパークとの違いや驚いたこと、カルチャーショックなどはありましたか?

現在の契約がフルタイムダンサーなので、週5日出勤で、決められた時間は必ずいなければならないという点がまず今までの個人契約と大きな違いです。1日中踊っているわけではなく、パレードに出演する日は、朝出勤して準備、ウォーミングアップ、1回目のパレード、昼休憩、2回目のパレード、そして退勤時間まで待ってから帰るという流れです。

出演しない日でも、パレードの運営サポート業務などがあります。リハーサルの日も、リハーサル後、退勤時間まで待機となります。この待機時間がショーに穴が空いた時のスタンバイという扱いなのも、今までにはなかったことなので驚きました。

ーーダンサー寮のようなものはあるのですか?

いいえ、自分で探しました。

ーー語学の準備はされていましたか?

特別な準備はしていませんでしたが、大学時代に芸術系の授業だけでなく英語の授業も取っていたので、それが役立っています。仕事で使うのは英語と広東語です。

朝礼などは英語と広東語の両方で行われます。現在は日本人の同僚も多いので、助け合っています。


◾️チャンスを逃さないための準備が大事

ーー今後のビジョンと、ダンスを仕事にしようか悩んでいる方へのメッセージをお願いします。

やはり「準備しておくこと」は大切だと思います。コロナ禍でオーディションがない時期もありましたが、その間も準備を続けていた人は、再開後すぐに仕事を得られていました。お金を貯めておく、履歴書を準備しておくなど、やれるだけのことはやっておくべきだと感じています。

また、テーマパークダンサーの場合、ダンススキルだけでなく、ビジュアルも重要視されることがあります。特に日本ではその傾向が強いので、体型管理なども大切です。

そして、何でもやってみることが大事です。私も香港ディズニーランドのオーディションを4回受けていますし、1回で諦めていたら、今の自分はありませんから。

ーー今後もパークダンサーを続けたいですか?

USJで働き、目標だった香港ディズニーランドで働くことができたので、ダンスのゴールは一旦ここかなと思っています。毎年契約更新のオーディションがあるので、いつまで続けられるかは分かりませんが、ここでやりたいことを全てやれたら、次はヨガも本格的にやりたいと考えています。香港での経験で培った英語力も活かせるかなと。

ーー怪我で休養された経験から、キャリアの中断を心配している方へ何かメッセージはありますか?

怪我をした時は、本当にネガティブになり、目の前が真っ暗になりました。でも、その時に「今までやりたかったことは何だろう……」と考え、書き出してみたんです。そうしたら、ワーキングホリデーに行きたい、海外で生活してみたい、ヨガもやってみたい、といったことが出てきました。そして、「今が一番やれるチャンスだ」と思い、行動に移したことが結果的に繋がりました。

なので、もし何かできなくなってしまったことがあっても、今までやれなかったことができるチャンスだと捉えることが大切だと思います。もちろん、最初は落ち込むと思いますが、しっかり悲しんだ後、また前を向いて進んでいけばいいので!

――ダンスを仕事にしようか悩んでいる方へメッセージをお願いします。

諦めないこと、そして準備を怠らないこと。チャンスは突然やってくるので、いつでも準備ができている状態を保つことが大切です。また、挫折や怪我があっても、それを新たな可能性を見つけるきっかけに変えられるかどうかが重要です。私の場合は怪我をきっかけにヨガの資格を取り、それが今では大きな武器になっています。

【聖代橋佳子(せいたいばし・かこ)】
29歳。3歳からダンスを始め、高校でダンスに本格的に取り組む。大学4年生の時にUSJのダンサーオーディションに合格し、プロダンサーデビュー。2019年に怪我をした後、コロナ禍でヨガインストラクターの資格を取得。2022年にUSJに復帰し、2024年9月から香港ディズニーランドの契約ダンサーとして活躍中。身長170cmの高身長を活かし、4回目の挑戦で念願の香港ディズニーランドでのキャリアを実現させた。

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