『MUSIC FOR BALLET CLASS』シリーズなど、数多くのレッスンCDをリリースしているバレエレッスンピアニスト、星美和さん。現在では全国の教室で彼女の音源が使われ、多くのダンサーの練習を支える存在となっています。
その輝かしい足跡の裏には、人知れない挫折と再起を繰り返しながらもバレエへの愛を貫いた星さんがいます。「バレエダンサーになれなくても、現役を辞めても、バレエを好きでいる気持ちは諦めなくていい」と力強く語る彼女、前編では「伴奏者という生き方」に出会うまでの歩みについて伺いました。
■小学校6年生で諦めた「バレリーナ」の夢
――今や多くのバレエ教室で星さんの音が流れていますが、伴奏の仕事を始めたのは何年前のことですか?
星美和(以下、星):伴奏を始めてから、もうかれこれ30年以上になりますね。普段はレッスンでダンサーの動きに合った音楽を提供するのが日々のルーティンで、加えてレッスン用のCDも作っています。生のピアノでレッスンできない教室のために「使いやすく楽しい」音楽を届けたいと思い、今は11枚制作しました。
――バレエとピアノ、それぞれとの出会いは?
星:バレエは4歳のときです。母が「自分がやりたかったから」と私をバレエ教室に連れて行ってくれて、物心ついたときにはもうスタジオに通っていました。ピアノは父が自宅でピアノを教えていたので門前の小僧のごとく好きにピアノを弾いていました。


小学校6年生までは「バレリーナになる」と決めていたんですが、早い段階で母に「好きというだけでは、一流にはなれない」と言われてしまって、父も「バレエは職業にはならない」と。悔しくて家出しようとしたこともありますよ。「バレエの先生の養子になる」って言って(笑)、子どもだから本気でそう思ったんですけ
ど、やっぱりそれは叶わないし、泣く泣く諦めました。

――それでもバレエへの情熱は消えなかった?
星:ええ。母には「そんなに好きなら自分で稼いで大人になってからやればいい」と言われたんですけど、どうしてもバレエが好きで。ちょうど「ロシアバレエ」が全盛の時代で、ロシアバレエの劇場の下にはオーケストラがあるのを観て、毎日バレエを見て演奏ができる仕事があるじゃないかって思ったんです。それでヴァイオリンを習いに行きました。
――ピアノとはまた違う形でバレエに近づいたんですね。なんとかしてバレエに関われないか?と思ったのですね?
星:はい。ヴァイオリンもプロにはなれず挫折。その後はフルートを買ってもらってブラスバンドに入ったりと、いろんな楽器に触れていました。ピアノを本格的に練習し始めたのは高校からでした。それまでは家に来る生徒さんの演奏を耳で覚えて、真似して弾いて遊んでいたような感じです
■22歳の挫折―動かない指との闘い
――本格的にピアノを始められたのは高校2年生からだったんですね。
星:はい。どうしても上京したくて、父の師である先生が洗足学園音楽大学の教授をしていたので、「そこだったらいいよ」と言われて。
――ご出身は北海道と聞きましたが、上京しようと思ったきっかけはやはり「バレエ」だったのでしょうか。
星:いえ、地元の釧路がとにかく寒くて(笑)。泣きながら学校に行くほど嫌でした。それと、性格が悪かったのか落ち着きのなさか、何をしても目立ってしまってあんまり周囲となじめなかったんです。中学生のときが一番危機だったかもしれないです。自分で髪を抜いちゃったりとか、過換気症候群だったのかパニック症候群だったのか、時々動悸が激しくなったり呼吸困難になり学校に行くのが辛くて、でも休むと両親に怒られるし、、当時はそんな精神的な症状についての知識を持っている大人も周りにいないし、自分も分からない。そういう孤独感から、もっと広い世界に行きたい、のびのびと自分を出せる環境に行きたいと強く思いました。
――そうだったのですね。何かしらバレエに関わりたいなっていう夢は……
星:そのときは、もう全然忘れてます。結局、中学から高校にかけてはバレエのレッスンは、大学時代に再開するまで6年間一切しませんでした。
――その後は上京されたものの、22歳のときに事故が……
星:ええ、大学時代はアルバイト代をバレエのレッスン代や発表会費につぎこみ、ピアノも人から遅れている分を取り返すようにたくさん練習して充実した大学生活だったのですが、卒業目前、重たい教材を抱えて階段から落ちてしまい、手のひらの骨を複雑骨折しました。左手の薬指は今も自力で上がらない状態です。ギプスが外れたときに左手の変形を見て「もう人前でピアノを演奏するのは無理だ」と深く絶望しました。一週間以上、涙が止まらなかった。
結局、その時点では「ピアニストとしての道は難しい。でも、先生として子どもに教える道なら続けられるかもしれない」と自分を納得させ、ピアノは“教えるもの”、バレエは“生涯の趣味”という位置づけになっていきました。

■「バレエの伴奏」との運命的な出会い
――バレエの伴奏に出会ったきっかけを教えてください。
星:28歳のとき、釧路時代の先生から連絡があり、「イギリスのバレエ学校の先生が、日本でワークショップとオーディションをするのにピアニストが必要だって言ってる。美和ちゃんはピアノもバレエもやっているから弾けない?」って。
それまではバレエの伴奏ピアノなんて知らなかったんです。でも実際に弾いてみたら、もう沼に入りました(笑)。
――運命的な転機があったんですね。
星:「これだ!」とピカピカピカって何かが光った感じがしました。
自分もピアノでレッスンした経験はなかったし、当時はレッスン用のビデオも出回ってない、今みたいにYouTubeもない、楽譜があるのかどうかもわからない……頼りになるのは自分が踊っていたときのカセットテープだけ。それを楽譜に起こしたり、弾いてみたりして準備しました。結局、それは使えなかったんですけどね。
――え、使えなかったんですか?
星:イギリスの先生が鼻歌を歌いながら「パ」を出すんですよ。
その曲の楽譜もないので、その鼻歌を自分でアレンジして弾いたんです。小さいときに聞こえてきたものを耳で覚えて好きに弾いていたことが、そこで生きてきました。
――小さなときの星さんとここで繋がってくるんですね。
星:そうなんです。鼻歌を歌われたら、動きを見たときに音楽が浮かんできて、それを弾く。ダンサーがそれで気持ちよさそうに踊るっていうのがものすごい快感で。それに、自分がバレエ好きだから、イギリスの先生がバレエの作品の歌を歌うと、「あ、くるみのアレだなとか、眠りのアレだなとか、ジゼルのあの曲だな」ってすぐ分かるわけです。それを自分なりにアレンジしてクラスで弾くことができる。
事故の影響で、今の私は例えばチャイコフスキーの『白鳥の湖』全幕を弾くことはできないけれども、バレエのレッスンだったら自分でアレンジして弾けるんですよ。「これは私にぴったりの仕事だ」と思いました。これまで、バレエもピアノも全部中途半端だったけれど、その中途半端なもの同士が合わさって、今までやってきたことが全部生きてきたんです。

【星 美和(ほし みわ)】
バレエレッスンピアニスト。北海道釧路市出身。4歳でバレエを始め、高校時代からピアノを本格的に学ぶ。22歳時の骨折により指に障害を負うものの、28歳でバレエピアニストとしての道を見つける。30年以上にわたりバレエ界で活動し、現在までに11枚のレッスンCDを制作。その音楽は全国のバレエ教室で愛用され、多くのダンサーの成長を支えている。バレエへの深い愛情と豊富な経験を活かし、後進の指導にも力を注いでいる。

