バレエダンサーを目指す人の多くは、いつか厳しい現実に直面します。才能や競争だけでなく、経済的に自立して食べていけるのかという問題も浮上してきます。
今回は、幼い頃からバレエを愛し、一度はその道を諦めて弁護士となり、その専門性を活かして再びダンスの世界へと戻ってきた東海千尋さんにお話を伺いました。一見、180度方向転換したように見えるキャリアの背景には、どんな想いがあったのでしょうか。
◾️「バレエやりたい」― 幼稚園生が白鳥の湖に魅せられて
―― 現在は弁護士として日本舞台芸術振興会(NBS)の経営サポートや、Dance Base Yokohamaのリーガルアドバイザーを務められている東海さんですが、まずはバレエとの出会いについて教えていただけますか?
東海さん:母がクラシックバレエを習っていた経験があって、家にロイヤル・バレエ団の「白鳥の湖」のレーザーディスクがあったんです。幼稚園生のときそれを見た瞬間に「バレエをやりたい」と言ったそうです。私自身はあまり覚えていないのですが(笑)。すぐにでも習いたいとずっとせがんでいたらしく、母は本気かどうか確かめるために少し様子を見ていたそうですが、結局私の思いは変わらず小学1年生の6月から習い始めました。

――幼い頃から、将来はバレリーナになりたいと思っていたのですか?
東海さん:高校生になるまでは本当に毎日練習していて、バレエダンサーになるんだと信じて疑っていませんでした。
でも高校生になるころから、バレエを仕事にすることの現実が見えてきたんです。周りの先輩たちを見て、バレエを仕事にしていくことがいかに難しいかがわかってきました。

◾️バレエで食べていくことの厳しさを痛感した高校時代
――どういった姿を見て厳しさを痛感されたのでしょうか?
東海さん:バレエの公演による報酬だけで経済的に自立できている人がほとんどいなかったんです。当然ですが教えの仕事もしているし、他のアルバイトもしていて。バレエ団に入ると日中はお稽古とリハーサルになるので、夜しか時間が空かないんですね。だから日中はお稽古やリハーサルをして夜は教えや他の仕事を入れる、という生活をしていることが当たり前で、身体を使う職業なのに十分にケアすることが難しい、というのが普通の世界です。
そういった姿を見て、「あ、バレエダンサーは踊ることだけで生活していく職業だと思っていたのに、少なくとも日本という国においては、それが成立していないんだな」と感じました。
――そこから、方向転換を考えるようになったのですね。
東海さん:高校2年生くらいまでは海外留学も検討していましたが、当時の実力で行けるのは、ロイヤル・バレエ・スクールやパリ・オペラ座バレエ学校のような超一流校ではなく、もう少し知名度の低いバレエスクールというのが現実でした。
そうなった時に、「これ、行く意味あるのかな」と考えてしまって。エスカレーター式で大学に進学できる環境にいたこともあり、現実的な選択肢を比較検討してしまったんです。
◾️「法律は習った方がいい」― 進路を変えた一言
―― 法律という道を選ばれたのはなぜですか?
東海さん:最初はビジネスに興味があったので迷わず経済学部に行くつもりでした。ただ、本当にこの選択肢が正しいのかな、と思って周りの大人に相談したときに、ある人が「経済学部もいいけど、ビジネスをやりたいなら、まず法律を勉強した方がいいよ」と言ってくれたんです。
その理由は、日本は法治国家であって、ビジネスも社会も法律を遵守しなければ成り立たない世界だから。また、法律の考え方(リーガルマインド)は慣れるまではわかりづらいので、独学よりも誰かから習った方が効率が良いと言われました。一方で、経済は数字の学問だから後からでも独学できる、というのがその方の意見でした。その一言で法学部に行くことを決めました。
―― 法律の勉強に戸惑いは感じませんでしたか?
東海さん:法学部で実際に様々な法律の勉強を始めたら、結構面白いと思えたんです。ちょうど同じ時期に司法制度改革があって、大学院(ロースクール)に行ってから受験するタイプの新司法試験の制度が始まることになりました。それまでは数%だった合格率が、新司法試験では50%になるという触れ込みでした。そういったこともあって、「私にもできるかも!」と感じました。
また、女性として結婚や出産などのライフイベントでキャリアが途切れるかもしれないことを考えると、ライフイベントに影響されない武器を持っていた方が良いとも思いました。武器があればバレエの世界に何か貢献できるかも、とも考えて弁護士を目指すことに決めました。
◾️「1日10時間勉強」を続けた1年間
――司法試験の準備はかなり大変だったのではないですか?
東海さん:大学1年生から予備校に通って、ロースクール入試の勉強をしていました。ロースクールには2年コースと3年コースがあるのですが、私は2年コースに行きました。
でも1年目はあまりにもしんどくて、学校も休みがちで、バレエの発表会にも出ていたし、集中できていませんでした。成績も下から数えた方が早いくらいの落ちこぼれだったと思います(笑)。

――意外です!どのタイミングで本気になったのでしょうか?
東海さん:2年生になった時に「これではいけない」と思って、本格的に勉強することを決めました。通常合格に必要といわれる勉強時間から逆算すると、1日10時間勉強しないと間に合わないという状況でした。毎日10時間やると決めて、例えば遊びに行って7時間になった日があったら、マイナス3時間を翌日以降でリカバリーするような生活を1年間続けました。
もう少し計画的にやれば良かったのですが(笑)、バレエで培った体力と本番に強い精神力・集中力のおかげで、最終的には運良く一発で合格することができました。
◾️バレエを完全にやめる決心が着いた瞬間
―― バレエ一本の人生から弁護士を目指すうえで不安や大変だったことはありましたか?
東海さん:私の場合はプロのダンサーとして活動していたわけではないので、キャリアを変えるという不安はなかったんです。でも、バレエを完全にやめるという覚悟がなかなかつかなかったですね。
司法試験を受けるときもつらくて「バレエの道に戻りたい」と思って集中できなかった時期が約1年ありました。就職してからも「弁護士は自分に合わないかもしれない、バレエの先生に戻れるかな」などと考え、実際に教えを並行していた時期もありました。
20年間ずっとバレエをやってきて、私の人生の全てであり、誇れるもの、糧になるものがバレエしかなかったので、何かあるとそこに戻りたくなる気持ちが長く続きました。
――そういった意識が変わったタイミングはありましたか?
法律事務所からリクルートに社内弁護士として転職したことが大きな転機になりました。ビジネスチームと相談しながらビジネスに伴走する仕事を経験し、初めて弁護士として「これが私のやりたい仕事だ」「これなら価値を発揮できる」と感じられるようになってから意識が変わりました。
仕事が楽しくなって成果も出るようになって、良いサイクルが回り始めたんです。リクルートで3年ほど働いて、弁護士としての型ができたという感じですね。その頃になって初めて、純粋に愛好者としてバレエを楽しめるようになりました。

【東海千尋(とうかいちひろ)】
弁護士。6歳からクラシックバレエを始め、高校卒業まで本格的にダンサーを目指す。大学で法学部に進学し、法科大学院を経て2010年に弁護士資格を取得。法律事務所、株式会社リクルート勤務を経て、2017年から3年間アメリカに在住。現在は公益財団法人日本舞台芸術振興会で理事長補佐・顧問弁護士として活動し、Dance Base Yokohamaのリーガルアドバイザーやバレエ「えんとつ町のプペル」のプロデューサーに加え、一般社団法人ダンサーズ・キャリア・サポートのリーガルアドバイザーも務める。法律の専門性を活かして舞台芸術の発展に幅広く携わっている。

